ウサギ小屋からスタートしたHAP合成。4人は諦めずに作業を続け何とかHAPの大量合成に成功した。次は歯みがき剤の開発である。
サンギはものづくりをするにしても、最終製品の製造設備を持たないメーカーになることを目指していた。当時、歯みがき剤を受託生産していた日本ゼトック株式会社(当時:日本ゼオラ株式会社)ならば「いいものを作ってくれるに違いない!」と共同開発を提案した。
創業間もない零細企業からの、これまでにない“画期的な歯みがき剤”の共同開発の申し入れでは信じられないのも当然、だが同社の常務だけは「1%でもむし歯予防の可能性があるならやりましょう」と積極的に対応してくれた。こうして1978(昭和53)年、サンギが基礎研究と臨床試験、日本ゼトックが歯みがき剤の処方開発と薬事申請という役割分担で、現在に至るまでの素晴らしいパートナシップが始まった。
サンギの合成したHAPはあまりにも活性が高く、開発は困難を極めた。
普通の処方だと化学反応を起こしてペーストが固まってしまう。
困難にもめげず解決策を模索してくれる開発担当の3人をサンギはひそかに尊敬の念を込めて「助っ人三羽ガラス」と呼んでいた。
そのおかげで、1980(昭和55)年、いよいよHAP配合の歯みがき剤「アパデント」が完成したのだ。