貿易会社としてネタを探していた佐久間は、時々米国大使館の商務部に訪れることがあった。そこで、当時の営業担当であり現サンギ取締役最高顧問の福田章と出会うことになる。
佐久間は完成した歯みがき剤の販売を福田に持ちかける。「HAPは画期的な成分で、歯みがき剤の市場を変えるはずだ」と熱く語る佐久間の言葉が胸に響いた福田は、「アパデント」の販売を決心した。
苦しい開発を経てやっと発売にこぎつけた「アパデント」だったが、一向に売れなかった。
何しろ容量120gで2,800円。歯みがき剤の店頭価格は100円前後の時代だから驚くほど高額製品だったのだ。
歯科医療従事者向けの説明会を開いても製品の効能効果に疑問を抱かれるばかり。
むし歯予防の薬用成分「薬用ハイドロキシアパタイト」として認められたのは1993年。
承認前では説得力が無いのは当然だった。
そこでPOP広告をつくり大きな文字でこう書いた。
「世界一高い歯みがき、いかがですか」
2,800円という価格は高い。それをこちらから先に言えば心理的なハードルが少しは下がるはず。ほとんど開き直りの作戦だった。
その後、サンギは1985年に「アパガード」を発売する。
サンギは並行して、様々な基礎研究、山形県と岐阜県の小学校児童を対象にした大規模な臨地試験等を継続しながら、薬事承認を目指した。
1993年、むし歯予防効果が認められ、薬用成分「薬用ハイドロキシアパタイト」が誕生するまで、実に13年もの年月を要したのだ。
(写真は左から、当時の福田と佐久間)